らくらく操体サロン えがお

疲れているのは、体ですか?心ですか?腰痛・関節痛からうつや自律神経系失調症まで体と心のコリをほぐす仙台市にある操体法とEFTのサロンです。サロンの詳細はこちらのHPをご覧ください。【http://www.rakurakuegao.com/】

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先日,専門学校で働いて頃の教え子の結婚式に参加しました。

花嫁のその子は、4歳の時に白血病と診断されました。
元気になった後も、彼女はその時の感謝を忘れず、ずっとその頃の医師や、
院内保育の保母さんと連絡を取っていたそうです。

結婚式には、その頃関わった医師が5人と、院内保育の保母さんが2人。
そして小学校の6年生の時の担任の先生がいらしていました。

彼女は、専門学校では、私が担任のクラスではなく、隣のクラスの学生で
した。
でもいろいろと縁があり、卒業後も毎年自分の家のゆずを、我が家に届けて
くれていました。
時々サロンにも遊びに来てくれていました。

そうやって、縁を大切に関わり続けて来た彼女は、素敵だなあって思いまし
た。

もうすっかり元気なので、本来なら隠すであろう病気のこともしっかりと
結婚式で、自ら話し、今生きていることへの感謝を心から伝えようとする
姿に心をうたれました。

先日うちの娘も、大切な友人に自分が大きな病気をしたことを話したそうで
す。
今まで話した友人は、たいてい冗談だと思うか、そんな風にはみえないって
言うそうですが、今回は思いもよらない質問をしてきたそうです。

「ねえ、病気してよかったって思うことある?」って。

「正直、病気して良かったって思うことはないけど、病気しても良かったと
思う」って答えたそうです。
「だって、こうしていろんな人と出会って、今も生きてから!!」って。


病気して、治療はつらかったけど、病気しても今は生きている。
病気しても生きていてよかったって。

今日お話しした友人も、30年ほど前白血病で余命2カ月、治療法はないと診断さ
れ直接本人に告知されたそうです。
奇跡ともいえる回復で、今は元気に何事もなかったように誰より元気に暮らして
います。
彼女も、確かに病気はつらかったけど、病気してもそのおかげでいいこともあっ
たと話していました。
夫婦や親子の絆がより深まったと。

娘が、死と隣り合わせ立ったあの頃。
自分の命と引き変えにしてでも、守りたかったあの頃の小さな、そしてあまりに
頼りなげな命の炎は、今もしっかりと燃えています。

いつかきっと病気を乗り越えて、生きていてよかったと娘が言える日が来ますよ
うにと、涙をこらえながら祈り続けた長くて不安だらけの日々。

たくさんの思いを重ねつつ、20歳を過ぎて、「病気をしてもよかった」と胸を張
って言えるようになったことが、うれしい私です。

生きていてくれてありがとう。


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楽しむ

あれれ?
気がつけば、6月はもうすぐ。
庭では、あちこちで薔薇のつぼみが開き始めました。
淡いピンクの大きな薔薇の花に、やわらかな温かさを感じ、朝水やりしながら
うっとりと眺めてしまいました。

さてこの前の日曜日。
とうとうルーヴル美術館展を観に国立西洋美術館に行きました。
絵の中に確かな息づかいを感じ、まるでその時代の絵の風景の中に自分がい
るようでした。

その後、いそいそ。
楽しみにしていた人気の東京国立博物館平成館の阿修羅展へ。
阿修羅像の周りには人・人・人。
やっと目にした阿修羅像。
下唇をちょっと噛んでいる表情が、妙に人間ぽっくていいな~って。
もっとずっと観ていたいような思いを振り切り次の展示会場へ。

常設展の『日本美術の流れ』にたどり着いた時には、もうぐったり!!
けれどもそこで初めに目にした埴輪(はにわ)の間の抜けた表情に思わずクスッ
!!
どこかで見たような・・・・。
そうだ。息子が幼稚園の頃書いたシンプル過ぎるウルトラマンの顔にそっくり。
がら~とした館内で、その埴輪のすっとんきょうな表情と、こっけいなしぐさを、無
意識にマネをしている自分にハッ!!
しまった・・・・。
でも誰にも見られてなかったようでホッ。
そのあまりのあほらしい行動に、いつの間にか同行していた夫は、はるかかなた
に。


たくさんの名作を鑑賞し、私がある意味一番胸を打たれた?のが、古墳時代の埴
輪だったとは・・。自分でも意外です。

でも
思わず気が緩む。
笑いたくなる。
あほになりたくなる。

これって楽しさの基本かも。

雨上がりで、眩しい日差しが降り注ぐ公園で、やっていた氷のお祭り。
氷をくりぬいたジョッキにビールを注ぎ、ググ~ッと。
冷たくって・・・う・ま・い!!

まさに生きてるって感じ!!

いろんな感動いっぱいの一日でした。





苦労することと努力すること

もう15年ほど前のことですが、10年ぶりぐらいに会った友人から
「テレビ見たよ。苦労したんだね~。」と言われ、返答に困ってしま
いました。

その頃、ローカルニュースの特集で、娘の闘病中のことや、元気
になった姿を放送して頂いたことがありました。
「すごい反響でした。キャスターも泣いてました。」って番組の制作
の方が後で、教えてくれました。
きっと編集がすばらしかったんだと思います。

娘の病気、2度の誤診、そしてやっとの思いで転院した先での診断
は余命2か月。

自分がかつて働いていた職場での誤診。
その医師への許せない思いを、夫に話した時の夫の言葉。
「でもそんな病院を選んで、入院させたのは君だ。先生を恨んでも
仕方ないよ。」

その言葉に自分の娘への、罪の重さを感じ、そんな自分が許せま
せんでした。母親としても、看護師としても。
娘が死んだら私も死のう。
ひとりであの世に行かせられない。
そう思いつめていた日々。
自分と娘に残された日々を数えながら、死ぬことばかりを考えてい
ました。

そして危篤状態になり、みんなが娘の明日をあきらめたその時に起
こった奇跡。

「きれいな朝日・・・・・。なんだか生きられそう・・・・。」

「もう今晩が山でしょう。」そう言われた翌朝に、ブラインドのわずかな
隙間から差し込む眩しいほどの光をみて娘は言いました。

そして数週間後。
娘の言ったとおり、その日から、血液のデータ上も、メキメキと回復し、
酸素テントから出て、久しぶりに私に抱っこされ、無邪気な笑顔で、
「しあわせ・・・だね。」ってひとこと。

今生きている事の、しあわせ。
自分の腕の中の娘の温もりは、それを教えてくれました。
健康な人にとって当たり前のことが、涙が出るほどありがたいのです。
生きていること。
苦しまずに呼吸していること。
微笑みをくれること。

「ママは、なあちゃん(娘の愛称)の太陽なの。
ひまわりは太陽のことが大好きなの。
だから、太陽の近くに行きたくって、太陽の方を見て大きくなるの。
なあちゃんもママが大好きだよって大きくなるの。」

そんな娘の言葉に、ハッとして、やっと気が付きました。
娘と死ぬことばかり考えていた自分が間違っていたことを。
どんなにつらい状況でも娘は、幼いながらに必死に生きようとして
いたのです。

共に生きよう。
そう決心したのは、その時でした。

母の親の一念が変わり、娘も変わりました。

その後さらに再開された治療には、99%敗血症になるだろうと説明
を受けていましたが、何事もないかのように、ご機嫌な日々を重ねる
うちに治療は終了し、退院しました。

そしてたくさんの出会いに支えられ、今を生きている娘。
たくさんの奇跡を巻き起こし、元気な今を勝ち取って。

かつて小児病棟の看護師として、どうしても理解できないことがありま
した。
余命少ないわが子の傍らで、付き添う母親たちは、なぜ穏やかな微笑
みわが子にを向けることができるのだろうということ。

当時独身の私には、そして子供たちが大好きな私には、とても不思議
でした。
もし自分が母親だったら、心で泣いてるんだろうな。
大きな悲しみや不安を抱えて、それでも笑ってるんだろうなって。
そう考えただけでも泣きそうでした。

でも、実際、自分がそんな立場にやっとわかりました。
共に生きようと思った時、本当の命の輝きが見えました。
今生きている、そんな当たり前のことが、とても愛おしいと思えたときに、
命は、どんな宝石よりも美しく輝くことを知りました。
今という瞬間が、とても大切で、今ともに、ここに存在することが、それだ
けで、うれしくて、ありがたくて。
季節の移ろいをともに感じることのできる奇跡。

そういう思いの中で、母親たちは穏やかに降り注ぐ光のように、傍らで、
微笑み、語りかけていたのでしょう。

私の姉も、その頃の私を見て「うちの妹は、苦労してるはずなのに、笑っ
てるんだよね。」って、友人に話していたそうです。
友人からその話を聞いて、初めて他の人には、自分が苦労していると思
われている存在なんだと驚きました。

確かに、何かと大変でしたが、「大きく変わる」という言葉のように、私も、
娘もいろいろな面で、状況が大きく変わりはしたものの、苦労していると
自覚したことが、一度も無かったから。
ただ生きることに必死だったから。

苦労と努力の違いは、同じことをしていても、明確な目的意識がなければ
、苦労したと感じ、目的意識が明確であれば、努力したと自覚するそうで
す。

「努力は、幸福を手に入れる手段ではなく、努力そのものが幸福を与えて
くれるのである。」
そうトルストイの言葉にあるように、今という一瞬をえがおで過ごすために、
必死だったあの頃は、決して苦労していたわけでもなく、不幸でもなく、私
たちは幸せだったのです。

その後何年も、「ママと毎日遊んで、楽しかった。」と娘は、その頃の事を話
してくれました。
想像を絶するような辛い治療に耐え抜いた日々だったのに。

幼稚園の年長さんの冬。
テレビ出演の話があった時、当初は私だけのインタビューということにしても
らったのですが、どうしても娘がテレビに出たいと言い出しました。
「どうしてでたいの?」
「どうしても、おんなじような子供に、テレビで伝えたいことがあるの。」
「な~に?何を伝えたいの。」
「それは、その時まで、ママにもひ・み・つ。」
そんな会話があり、娘も出演決定。

当日の収録の最後に、マイクが向けられると、シャンとした声で娘は話しました。
「みなさん。いのちは、たいせつですから、がんばってください。」

聞いた瞬間、ともに過ごした過酷すぎるほどの闘病生活からの日々が思い出さ
れました。
「どんなにつらくても、生きていることは、それだけで、素晴らしい。だから病気に
負けないで、生きていきましょう。」
そう小さな体で必死に訴えているようで、泣けました。

















 
 

こどもたちに伝えられるもの

我が家は、ここに家を建てて、もう12年になります。
でも、休日も日中家にいることが少なかったので、
向かいの公園から聞こえてくる今どきの子供達の
声も、あまり気にしたことがありませんでした。

最近窓を開けていると家のすぐ前の遊具で、子供
達が遊びながら交わす会話が、聞くともなしに、聞
こえてきます。

・・・で最近、「彼らの中のひとりで、小学校の低学
年と思われる少年の言葉がどうしても気になります。

「なんだよ。時間が無駄になったじゃないか。」
「早くしろよ。時間の無駄だ。」
などなど、わずかの時間のうちに、何度もお友達に
そう怒鳴っているのです。毎日。

子供の言葉として聞いた時の違和感。
なぜ?
きっとそれは私が子供の頃、周りに「時間の無駄」
なんていうお友達がいなかったから・・・かな?

そもそも子供って、大人が無駄だって思うようなこと
を繰り返し行動しながら学習し、成長するもの。
遊びに無駄があるから、創造性が発達するのでは。

その少年は、ご家族の方の口癖をまねているだけ
なのでしょうか。

うちの子供がちょうどそのくらいの年のころ、何かの
本で、現代の子供が失いかけている3つの「間(ま)」
という記事を読みました。

それは【時間・空間・仲間】です。
確かに私たちが子供のころは友達と遊ぶ時間も、原
っぱなどの空間にも恵まれていました。
子供の心の成長に、とっても大切なものなのに、今で
はその【3つの間(略してさんま)】は、子供にもぜいた
く品になっているのかも・・・。

だからこそどうにかして、その3つを与えられる社会だと
いいのに。

今まで時間に追われるように、仕事と家事と育児をど
うにかこなそうと必死でした。
「忙しい」という言葉は【心】を【亡くす】と書きます。
二人の子供たちとの会話も、耳で聞き流し、心で聴け
ない時期もあり、「本気で聞いてくれないから、今は
話したくないよ。」と息子に言われた時は、ショックでし
た。
忙しさの中に、大切なものを見失っていたんですね。
もう受験生になったその息子と最近は、くだらない会
話を楽しんでいます。

母親として大切なものは、3つの「ゆ」
 心の・・ゆとり
 大切な命を守る・・勇気
 いつも明るくいられる・・・ユーモア

私たち親が、身近に子供に伝えられるのは、生き方
そのものなのかも。
【生きて行くのは、なかなか大変だけど、楽しい】
そんなメッセージが伝わるように生き続けられたらと
思います。








命の重さ

先日、生後2日目の2300gの赤ちゃんを抱っこしました。
お母さんが、おっぱいやっても、抱っこしても、おばあちゃ
んが抱っこしても泣き続けていたその子。他人の私に
抱っこされるとピタリと泣きやみ、すやすやと眠りだしまし
た。

「なんで~?!」とその子のお母さん。

そう私は小児病棟で働いていた時、NICUで鍛えてたんで
す。安心抱っこの仕方。

あれから何年たったんだろう。
もう随分遠い昔のように思えます。
久しぶりの新生児の感覚。
たった2300gでも、ちょっとほほ笑むだけで、見ていた人を
幸せな気持ちにさせる大きなエネルギーをもったその存在。
赤ちゃん一人一人に大きな、広がる未来の重さがあります。
グラムなんて単位では表せない無限大の重さが。

18年前の今頃。
長女があと2~3か月の命と告げられた日、私は腹痛が起
こり、翌日妊娠初期であることと、入院し安静にし、治療し
ないと流産するかもしれないということを知りました。

残された時間が少ししかない娘のそばを、離れたくなかった
し、自分しか守ってあげられない授かった命も大切でした。

「母親としてどちらか一つの命を選んでください。」
医師の言葉は残酷でした。

「選べません。娘の付き添いをしながら、できる限り安静に
しておなかの子を産みます。」
答えはわたしにとってそれしかありませんでした。

空調機の音が無気味に感じられる無菌室で、「怖いよ」
と泣きながら、もうほとんど母乳の出ないおっぱいで、やっ
とおちついて眠りにつく娘。
でもそれは、子宮を収縮させ、流産しやすくなるのです。
二つの命を守るために、唯一の安定剤のおっぱいを娘から
取り上げなければいけなかったのです。

「おっぱい吸うとね、おなかの中の赤ちゃんのおうちが小さ
くなって赤ちゃんが痛い、痛いっておなかの中で泣いちゃう
の。おねいちゃんになるためにおっぱいやめられる?」

「おねいちゃん?うん。おねいちゃんだから守ってあげる。
赤ちゃん大事ね。おねいちゃんだから・・・・」

その夜からもう二度と「おっぱい」とは言わなくなった娘。
そのかわり「おねいちゃんだから」と目に涙をためて小声
で繰り返し、私に背中を向けて寝るようになりました。
・・・・切なかった。とっても。
ちっちゃすぎる背中に何度も「ごねんね」って心の中でつ
ぶやきました。

そうやって、なんとか無事に生まれてきた赤ちゃんは、
それから1年後、おねいちゃんの命を救ってくれました。

その子が3歳になって私に言いました。
「あのね、ぼくね、ママのおなかに入る前に、神様と一緒
に、泣いているお母さんと子供を見てたの。あのね、神様
が、あの子を助けなさいって言って、ぼくは、ママのおなか
に入ったの。」と。

「神様との約束で生まれた命。」
教えたことのない神の存在を語るわが子。
本当にそんな世界もあるのかも知れないと、たくさん起こ
ったわが子の奇跡的な出来事を通してそう思いました。

小さな命の中に、人はそれぞれの使命をもってこの世に生れ
てくるのでしょうね。

すやすやと眠る赤ちゃんは、みんな天使のようです。





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プロフィール

えがお

Author:えがお
らくらく操体サロンえがおです。
体や心の痛みから解放され、心からの笑顔に変わっていく瞬間が大好きです。
そんな本当の笑顔に出会いたくて、サロンを始めました。
すべての人の中に、よい状態に戻ろうとする力があります。
それを独自のほんわか操体とEFTでお手伝いしています。  

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