らくらく操体サロン えがお

疲れているのは、体ですか?心ですか?腰痛・関節痛からうつや自律神経系失調症まで体と心のコリをほぐす仙台市にある操体法とEFTのサロンです。サロンの詳細はこちらのHPをご覧ください。【http://www.rakurakuegao.com/】

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届けたい祈り

忍び寄る死の影におびえる君に
寄り添いながら思うこと

その瞬間までは
君らしく生きてほしい

なくなったものばかりを数える君に
今あるものに気付いてほしい

泣きながら
もう死にたいと言い
もっと生きていたいと言う

どうしようもない感情の矛盾の中で
それでもやっぱり生きている

どんな暗闇の中でも
それでも
必死に笑おうとする君が悲しく愛おしい

いつだってここにいるよ
いつだってここで祈っているよ

君の心が光に包まれること

心から愛しているよ
君のこと

生きることのも目的が見えないなんて言わないで

今を生きている
そのことだけで素晴らしい
そのことだけで大きな大きな意味があるって
傷だらけの君の胸に届けたい

君の心が
明日天気になりますように


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父へ

突然の父の死から、今日でちょうど1週間が経ちます。
なんだかまだ父の死が、信じられずにいます。

吐血して入院したとの連絡があり、6月27日の夕方車で1時間ちょっとの
入院先の病院へと向かいました。

唇や口の周り、顔にもまだ血がついていたので、ベッドに力なく横たわる
父の顔を拭きながら、
「お父さん。わかる?」
そう言うと、目を開けて、ぼんやりと私の方をみて
「看護してください。」と。

認知症の父でしたが、私のことはわかっていたはずなのに、きっと病院の
看護師に間違えてそう言ったのだろうと、その時は思いました。

翌朝再び多量に吐血し、出血性ショックで亡くなりました。
ずっとかかりつけの病院で処方され服用していたワーファリンのための中
毒症状による出血だろうとの事でした。

静かに眠るように息を引き取りました。

結局「看護してください。」と言った言葉が、私の聞いた父の最期の言葉
でした。

これまでの私の人生で、父に叱られたこともなければ、特にほめられたこと
もありませんでした。

いつも穏やかに笑っていた父。
雨の日も風の日も、田畑で休まず働き、私を育ててくれた父。
どんな料理を作ってもおいしそうに食べてくれた父。

おとうさん。
育ててくれてありがとう。
たくさんたくさん働いて、お疲れ様。

天国に行ったら、たくさんお昼寝してくださいね。

お父さんの笑顔を忘れずに、私も笑顔で生きて行きますね。



新しい環境の中で泣き出しそうなあなたへ

今日もいい天気。
サロンの前の公園には、一面タンポポの花が咲いています。
小さな子どもたちと、お母さんたちがタンポポを摘んだり、綿毛をとばしたり。
実は、ここにはたくさんの四つ葉のクローバーがあります。
小さい頃一生懸命四つ葉のクローバーを探したけど、一度も見つけられなかった
方は、ぜひ幸せを探しにいらしてみてくださいませ。

ところでこの4月から新しい環境の中で、ちょっぴり心が疲れてきた方もいるはず。
また「うちの子どうしちゃったんだろう」って落ち込んでるわが子に、戸惑ってい
るお母さん達も多いと思います。

たくさんの不安と期待と、たくさんのやる気をかばんいっぱいに詰め込んで始まった
新生活。
特に学生時代完璧になんでもこなしてきたと、自信をもって社会に出た新社会人。

「自分だけができない。」
「小さいこともわからない」

そんな思いがたまりにたまって・・・5月。
自分を責めたり、情けなくなったり、悔しかったり、悲しかったり。

でもね。
ちょっと想像してみてください。
4月、はじめて出社した日より、解らなかった事が、小さいことでも少しは解るように
なったはず。

例えば社会に出たばかりのあなたは、生まれたばかりの赤ちゃん。
やっと寝返りがうてるくらいに成長した今。
周りの人が、障害物を無意識によけたり、軽やかに走ったりする姿をみて、そうできな
い自分を嘆いていませんか?
誰かの力を借りて、無理に立ち上がっても、その手を離したら、倒れこんでしまいます。
成長には、個人差があり、早く歩きだせる子もいます。
けれどもどんなに早く歩ける子でも、寝返りができるようになる、はいはいができる、
つかまり立ちができる、つたい歩きができるという段階をすぎて、やっと歩けるように
なるんです。
なんども転んで、やっと立ち上がることと、歩くことを覚えて行くのです。

毎日毎日できない事が、よーく解るようになったあなたは立派です。
できない事も気付かず、できたつもりでいると後で困ってしまします。

できない事を見つけることは、できる事が大きく増えて行くチャンスでもあります。
何もできないと嘆くより、何ができないかを明確にしてください。
何ができないかが解れば、なぜできないかが解ってきます。
たいていの場合解決策はあるものです。

泣きたいときは、泣きたいだけ泣けばいい。
泣いていても何も解決しないとよくいう人もいるけど、本人にとっては、泣く必要があ
って泣いているのだから。
そこからまた立ち上がればいいのです。

できない自分にがっかりするのも、けっして無駄な感情ではないはず。
転んでみて学習し、本当の意味で成長していくんだと思います。

「痛かったね。」
心からそんな言葉をかけられるのは、自分も同じように痛みを味わったことがあるから
なのです。

季節は新緑の眩しい5月。
木々の間を流れる爽やかな風が、あなたの心に届きますように。

あなたは、あなたのままで素敵なあなたなのです。

今日からの日記には、小さなことでもいいので、今日できた事だけを書いてみてくださ
いね。

それがあなたの人生の足跡になり、あなたの本当の自信につながって行くと信じて。

冬来りなば春遠からじ

外は、雪がはらはらと舞い、季節はすっかり冬。
窓の外の景色を見ていたら、もう18年も前の情景が目に
浮かびました。

それは11月のある寒い夕方。
まだ歩けない息子をおぶり、私たち夫婦は、翌日骨髄移植
を受けるために再び無菌室に戻る娘を連れて、人気の全く
ない近所の公園に行きました。

抗がん剤の副作用で、抵抗力がほとんどない当時まだ2歳
の娘は、空気清浄機をつけた家の中で、もしくは自宅の庭
でしか遊ばせることができませんでした。

当時は、骨髄移植での成功率は60%位。
それでも世界的にも助かった症例がなく、余命半年といわ
れ、すでに10ヵ月。
再発の兆しにおびえながら暮らしていた私たちにとって、
それは、絶望と言う名の闇の中での眩しいほどの、けれど
もゆらゆらとどこか頼りない灯でした。

つい1年前に危篤状態を奇跡的に乗り越えた娘。
移植をすることで、もしかしたら、2度と帰ってくること
ができなくなるかも知れないう思いを胸に、せめて一度く
らいとても遊びたがっていた公園に連れて行こうと思った
のでした。

公園で無邪気にはしゃぐ娘。
これまで生きてきた2年10ヶ月の人生の半分以上を病院
のベットの上で過ごしていたので、同じ年の子供に比べ、
手足の筋力もかなり弱い娘が、一目散に向かったのは、滑
り台でした。

つるつると滑るほうから、上ろうとしては、何度も、何度
も、つぶれたカエルのようにズリズリと滑る落ちて・・。
何とかやっと自分の力で滑り台の上までたどり着き、それ
はそれは嬉しそうに
「やった~!!ママ~!!パパ~!!」
そう言って手を振り、得意げに上から滑ってきました。

生後5カ月から話し始め、1歳で字が読めるようになって
いた娘が、そのころ大好きだったのが、俳句。

下に降りてきて、私のところに駆け寄り、抱っこされて満
足そうに笑みを浮かべ一句。

「滑り台、下からのぼって冬を待つ。」

思わずビックリして聞き返しました。
「なんで冬を待つの?あったかい春を待った方がいいんじ
ゃないかなあ。」

「冬なの。冬でいいの。だってママが、なあちゃん(娘)に
冬が来たら、その次に春が来るって教えてくれたから。」

思えばちょうど1年前、抗がん剤で毎日大量に髪が抜け落ち、
窓に映る髪がなくなった自分の姿と、無菌室の窓の外の、す
っかり葉っぱの落ちてしまった一本の木を見つめて、悲しそ
うにポツリ。

「ママ~。なあちゃんの頭冬になっちゃった。」

「なあちゃん。あのね。あの木は、冬になって葉っぱが落ち
ても、春がきてまたきれいな緑色の葉っぱでいっぱいにな
るの。なあちゃんの頭も、今は冬だけど、春になったら、神
様が、頑張ったねって、誰よりもきれいな髪をプレゼントし
てくれるんだよ。楽しみだねえ。」

「春?なあちゃんにも春がくるんだね。」

そして翌年の春、本当にきれいな髪が生えそろい喜んでいた
娘。

これから受ける骨髄移植は、以前の治療よりも辛いかも知れ
ないと娘に話した時、

「あのね。なあちゃん、生きていたいの。生きて幼稚園に行
って、お友達とお手をつないでみたいの。お友達と遊んでみ
たいの。」と。

胸をえぐられるような、悲しいほど切実な娘の心の底からの
叫び。

これから再び入院し、どんな辛い治療が待ち受けているのか、
生と死の淵をさまよい、奇跡的に生き延びることができた娘は
幼いながらもよくわかっていたようです。

それでも
だからこそ・・・。
娘は移植することを選んだのです。

自宅の窓の外で、子供たちの元気な遊び声が聞こえると、私
にいつもだめと言われることを知りながら、
「ちょっとだけ窓開けて、お外のお友達を見てもいい?」
何度もそう聞いてきた娘。

「死んでもいいから、お外でお友達と遊びたい」一度だけそう
言って大泣きをし、それ以来もうそのことについて言わなくなっ
ていた娘。
抵抗力のない娘を、必死にウイルスから守っていたはずの私。
でも娘のその思いは、誰よりもよくわかっているつもりでした。
だって私も悲しかったから。

性染色体以外、ほとんど型が一致していた息子から提供を受け、
骨髄移植し、記録的な回復力で迎えた退院の朝は、一面大雪。
誰もまだ歩いていない雪の上に足跡をつけ、ここからまた始まる
んだと、真っ白な雪すら、新たな命の出発を祝福しているように
すら思えました。

あれからもうたくさんの春がやってきました。

生きて行くってことは、たくさんの冬を乗り越え、その向こうの
春を信じて待つことなのかもしれません。

もしかしたら奇跡は起こるものでなく、起こすもの。

冬の寒さが厳しいほど、春の暖かさ、温もりが愛おしく思えます。

『冬来りなば春遠からじ』

心の中まで、冬景色の今を生きているあなたに、届くことを願っ
て心からこの言葉を贈ります。







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プロフィール

えがお

Author:えがお
らくらく操体サロンえがおです。
体や心の痛みから解放され、心からの笑顔に変わっていく瞬間が大好きです。
そんな本当の笑顔に出会いたくて、サロンを始めました。
すべての人の中に、よい状態に戻ろうとする力があります。
それを独自のほんわか操体とEFTでお手伝いしています。  

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